続・母もぼやいてみたいなり

心機一転。しかし母はぼやき・戯言・寝言を続けます。どうぞよろしくお願いします。

子供がそばにいてくれること

先週、川崎市で、やるせない気持ちにさせられる事件が起きた。

中学1年生の子が命を落とした事件だ。

若さ、というだけでなく、その状況を知って思わず、

「どうしてそんななんのん? なんでやのん?」

と、その事件を報じるTVに向かって、叫んでいる私が居た。

 

大人には大人の、子供には子供の世界がある。

確かに子供の時代を通過してきたはずなのに、

大人になると子供の気持ちが分からない時がよくある。

単なる気持ちのすれ違いや、反抗だけならいいのだけれど、

自分に経験のない非行行為になると、全くといっていい程理解できない。

何かしら心の中に問題を抱えていて、

その表現方法が上手くないのか、分からないのか、

大人には理解できない行動に出ることがあるのだろう。

 

しかし、この残虐性はどこからくるのか?

どうしたら中学1年生がこんな形で命を落としてしまうのか?

 

帰宅しない、暴力をふるわれる、不登校になる…。

これに誰も気が付かないことなんてない。

ニュースを読むと、本人も必死にSOSを発信していたではないか…。

何故?気が付けなかったの?

 

被害者の子と母親との最後の会話について書かれていた記事を読んだ…。

よもやそれが最後の会話になろうと、誰が予知できただろう?

子供は家に戻ってくる、親の傍にいる、家が一番安心、

それが当たり前だと思っていた。普通の事だと思っていた。

しかし、去年の7月、長男が2週間家出をして、

これが普通の事ではないことを、嫌というほど思い知らされた。

その間、帰宅すること、無事でいることを必死に祈った。

しかしその反面、『もしかしたらだめかも』と覚悟も強いられていた。

このままずっとこの状況が続けば、いつかきっと、

諦めねばならない時が来る。もう2度と逢えないと。

そして思い出すのだ…最後の会話。

『もう少し優しい言葉をかけてればよかった。』

『ちゃんと顔を合わせて、しっかり声掛けすべきだった』

色んな事を考えた。

もっと気にかけていれば、こんなことには…といつも思ったものだ。

 

我が家の場合、運よく戻ってきた。

精神的に弱さを感じる長男は、それからも放浪癖を披露してくれた。

何度経験しても、やはり落ち着かない、慣れるわけがない。

やはり、子供の状況が心配で仕方がない。顔を見るまで不安なのだ。

 

何気ないことかもしれないが、毎日きちんと帰宅する、

夜はきちんと在宅している、ってとても大事なこと。

子供の安否だけではない、子供が安心だと感じる場所に居ること、

そういう子供を親がしっかりと見守ること。

共に過ごす毎日が、実は親子間にはとても重要だと知った。

で、今回の事件で、被害者や被害者の家庭の状況を知るにつけ、

そのことを再認識する。

 

夕方、長男が玄関の鍵を開ける音がする。

「ただいまぁ!」の声。

「お帰り。お疲れさんやったね。」と私。

毎日この声掛けを噛みしめている自分が居る。

今日もきちんと帰ってきてくれた。

今日も子供がそばにいる。