続・母もぼやいてみたいなり

心機一転。しかし母はぼやき・戯言・寝言を続けます。どうぞよろしくお願いします。

あの事件について思うこと

8月も残りあとわずか。

毎日耳にする蝉の声も変わり、

今年の夏休みが、夏が過ぎようとしています。

 

今年の夏休み、子を持つ親として、

とてもつらい事件が、ここ大阪で起きました。

事件の内容はあらゆるところで報じられているので、

敢えて書く必要はないと思います。

自分なりに思う事を書いてみようかと思います。

 

今回の事で問われている点の一つに、

夜間の子供の外出について、親は何をしていたのか?

というのがあります。

子供の事を心配しない親はまずいないと思うんです。

微妙なんですよね…子供の事を信じてるけど、それが過信に繋がったり、

子供である事を疑わないでいると、大人びた事をされたり。

子供自身も、毎日が挑戦・冒険の連続で、

それが上手くいく子と、危険に遭遇する子と出てくる。

真夜中の徘徊がいいとは決して思いませんが、

好奇心に駆られて飛び出す子供を引き留めるのって、

いつも成功するとは限らない、と思うんです。

 

子供に何度も家出された私が、保身のためにこう言うわけでなく、

子供って思っている以上に賢くて隙を狙ってきます。これは痛感させられました。

ほんのちょっとの違和感に、どれだけ早く親が気が付けるか…

これが初動の違いを生みます。

当たり前の事ですが、早ければ早いほど、子供にたどりつける確率が高い。

思いの外子供の移動スピードは速く、そして方角は定まりません。

暗がりを怖がらず、雨風を恐れず、突き進むんです…。

捜す側にとっては、まさに悪夢です。

 

だから、やはりそういう行動をとる兆候を感じたら、

じっくりと親子で話し合う必要があります。

親が一方的に社会の危険性について説いても、子供はなかなか耳を傾けません。

子供が外に出たがるのには、やはり理由があります。

単なる好奇心だけでなく、安全である筈の家を離れる理由…。

親は子供の最大の味方である筈なのに、その手元を離れる理由…。

自分にも経験がありますけど、不仲な家庭へは足が向きません。

子供には何かしら家庭への不満があり、それを無言で、行動で訴えかけてきます。

帰宅時間の遅れや、自宅不在の長時間化、非行行為など様々、

本人は楽しさなどを感じて取る行動が、無意識なストレス解消だったりします。

子供が抱えるストレスや悩みを探るだけでなく、

親子間の関係がどうであるかを見直す必要は多分にあると思います。

つまり、親の側にも原因があることを、念頭に置いておく必要はあります。

そして、行動をある程度監視しつつ、色んな条件を付けてOKサインを出す。

親も譲歩して、かつ子供を信じる勇気・自信をつける努力をする。

勿論、ダメな事はダメときっぱりと言う、しっかり理由を説明する。

その説明は何度も何度も繰り返す必要があります。

親はそれで自身の過信を防ぎ、子供は再度危険性を感じます。

 

我が子の家出は15日間にも及びました。

子供の無事を信じる事は本当にしんどい作業です。

10日目を過ぎた辺りから、ある程度の覚悟を決めないとな…と思っていました。

幸いにも、私達は我が子を連れ帰ることが出来ました。

確かに、その15日間は辛い毎日でした。

でも今考えると、家出を未然に防ぐ為に続く毎日の緊張感の方が、

よっぽど辛い試練のような気もします。終わりが見えませんしね。

ただあの当時の極度の苦しみ・絶望に比べたら、防犯のための緊張感など、

本当に大した事がないです。これで子供が守れるなら、です。

 

この1年、学校サイドも含めて、何度も何度も話し合いを繰り返してきました。

自分でもうんざりしそうな位です、でも確認作業は必要です。

自分の手で子供を守りたい、でも私達親の力は時として無力だ…

そう自分を言い聞かせながらの日々の努力の積み重ねです。

 

不幸は幾重にも重なって、望まぬ結果を生みます。

一つでもその重なりを防ぐことが出来たなら… たられば、ですが。

今回の事件で罪に問われるべきは絶対に加害者です。

世間が色々言わずとも、残された家族は辛い思いを抱えつつ、

これからの生活を送らねばなりません。

これ以上責めるのは酷過ぎるんじゃないでしょうか…。