続・母もぼやいてみたいなり

心機一転。しかし母はぼやき・戯言・寝言を続けます。どうぞよろしくお願いします。

裁判員裁判

昨日、注目される裁判の判決がでました。

座間で起きた連続殺人事件の裁判。

判決は”極刑”が下されていました。

たとえそれが被告に対して与えられる最も重い刑であっても、

被害者は決して戻っては来ませんし、

残された遺族も喪失感と虚しさに耐える、そんな苦渋を強いられます。

 

この事件の公判が始まると聞いた時、

これほどの重犯罪の場合は、勿論裁判員裁判だろうな…と思っていました。

実は、これまで2度、裁判員の名簿にのったことがあり、

今年、実際に裁判員(補充裁判員)を体験しました。

なので、どういう罪状を対象にするのか、

どういう流れで、どう判決を決めるのか、

今回の座間の裁判でも予想はつきました。

 

ただ、今回の場合、被害者の人数が酷く多い…。

それゆえに公判の回数が恐ろしく多い。

証人の証言、検視の報告など詳細をすべて聞き、

必要な時はメモを取り、疑問がわけば質問をする。

その回数が20回を超えていたと聞きました。

それを職業としている裁判官や検事と違い、裁判員は一般人、謂わば素人。

精神的な疲労は相当なものだったと思います。

公判の後は、裁判官・裁判員で評議が行われ、

どのような判決になるのかを、ずっとずっと話し合われますが、

今回の裁判の争点を考えると、とても苦しい作業だったと思います。

 

判決文は凡その雛型があるとは思いますが、

裁判員も加わった評議の内容を大いに酌んだ、

つまり、裁判員の『気持ち』を大いに酌んだものになります。

裁判官が判決文を作成し、最終的に裁判員も加わってチェックをします。

なので、昨日メディアなどに流れた判決文は、

一般人としての気持ちも反映されている、と考えられるものです。

 

どんな話し合いが繰り返されたんでしょう。

やるせない気持ち、悲しさ、憤り…

色んな感情もぶつかり合ったと思います。

自分たちの思うことを、一生懸命述べ合って出す判決。

昨日は役目を果たした達成感と、

そして虚脱感みないなものがあったんではないでしょうか。

 

 

国民が注目する事件の裁判員として、

人々がこの事件に対する思いを代弁する者としての役割、

本当に「お疲れさまでした」と言いたい。

そして「ありがとうございました」と。